そらニおちル
 

 
 雲ひとつ、見当たらない空。

 屋根の上に布を敷いて、降り注ぐ陽の光に包まれ眠る。

 否、眠っているわけではない。

「薄らぐ縛鎖(バクサ)夢ユメ囚えし蕀(イバラ)たち」

 身動きひとつせず、眼も開けぬままに。

「現霞(ウツツカスミ)の今一時、とく参れ」

 呟く程度の大きさ。

 その声に応えたかの如く現れたのは、巨大な兎。

 何も無い空間からゆらりと現れ、二足歩行でのそりと動く。

 呼んだ本人を覗き見て、器用にもそのまま布ごと抱き上げた。

「ダルい」

 抱えられて、そのフサフサな胸元に顔を埋め、一言。

 ただそれだけで、兎は行動を開始する。

 屋根の上から飛び降りようが、樹の枝に飛び移ろうが。

 抱えたその身に一切の衝撃を与えぬように、細心の注意を払いながら。

 双方無言のまま、辿り着いた部屋。

 開け放たれた窓の近くに置かれた寝台。

 それだけが存在を主張する部屋は、他には何も無くて。

 赤と白と青と。

 兎の腕の中から部屋を見渡す。

 送広い部屋ではないが、普通の部屋。

「窓から見える青い空、寝台を包む白い布」

 それらは限りなく“普通”の存在たち。

 最後に暖かい毛皮の持ち主を見上げ、もう幾度となくボヤいた事を今一度。

「巨大兎は許容しても、真っ赤な毛皮はどうなのさ、死神」

 普通の中にあって普通ではない存在の兎は、抱えた躰を寝台に降ろしながら。

『……好みだ、死に損ない』

 サクっとキッパリ言い切った。

 兎の言葉を信じるならば。

 残された寿命はあと僅かで、終わった瞬間に釣る為に来たとの事。

「つか釣るとか訳わかんないし」

 普通死神なら狩るの方だろう、と何度言ったか。

『死んだらわかる。ホラ、そろそろ“起きろ”』

「エグい色してつぶらな瞳をキラキラさせんな!」


 何とも微妙な感触の肉球が、寝台に躰を押し付ける。

 これから寝ます、な格好だが兎の台詞はその逆で。

『次は共に落ちる時』

 布をゆっくり引きずり上げて、横たわる躰を隠していく。

 起きろと言いながら、子供を寝かしつけるように。

『さあ、起きろ』

 優しく促すその声は。

『再び眠るその時まで』

 静かに、兎が詠う。

『見えないだけだ。ココにいる』

 子守唄のように。

 目を閉じれば少しずつ向かう、覚醒。

 今“ココで”眠ればそれが“目覚め”で。

 いっそ鮮やか過ぎるほど、ハッキリと訪れる。

 閉じた目を開いたなら、そこは変わらず白い寝台と、窓から見える青い空。

 違うのは赤い兎が居ない事と、かわりに寝台を囲む幾人かの存在。

「気が付いた?」

 心配そうに覗き込んできたのは、多分母親。

 他に誰が、と確認しようとしたけれど、動かせるのはもう視線だけ。

 それと、唇。

「……」

「なぁに? 無理に喋らなくていいのよ?」


 三日も寝てたものね。

 そう続けて、でも何を言いたいのか気になったらしく。

 耳を寄せ、周囲に少し黙るように言い置いて。

 ああ、ココ、病院…

 だから皆集まってたのか、とかなり見当外れな事を思ったり。

 兎が言った。

『再び眠るその時まで』

 なら、再び眠ったその後は?

 考えるまでも、無い。

「さいごだから」

 驚く程に、しっかりとした声が。

「すぐに寝る。もう、起きない」

 己の事ながら、淡々と告げる。

 代わりに覗き込んでくる顔が青ざめた。

 と思ったら、そのままフラフラと部屋の隅で蹲ってしまったらしい。

 面倒な。

「うさぎぃ…も、寝る。よべー」

 兎が居るのは、ココではないこの部屋。

 眠れば二度と目覚めない。

 知ったことか。

 眠いしダルいし、湿っぽい顔ばかりが並ぶ中。

 落ち着く事すら出来ないのだから。

 遠いけれどとても近くで、呆れたような笑い声がして。

 その声に誘われるまま、開けたばかりの目を閉じる。

『呼ぶのはお前だ』

 聴こえた台詞に小さく笑った。

 コレがホントに一番さいご。

「潰えし縛鎖、ユメゆめトラえしイバラたち」

 もう、どちらで言っているのかさえ。

「ウツツしまいの、このせつな。とく、まいれ」

 舌の感覚が麻痺したか、それとも必要無いからか。

 上手く発音出来なかったけれど。

『さァて、共に落ちようか』

 楽しそうな兎。

 導かれるままに。

 そこは白い“普通”の部屋。

 二度と“起きる”事は望めず。

 けれど恐怖は露もなく。

 包み込む赤に安堵している。

『餌はこの空間、針は呼ぶ声』

 兎のくせに、表情豊かなこの死神。

『釣りとはつまり』

「終わりを享受させる事、だろ?」


 居心地の良いこの場所で、夢を共に過ごす事によって。

『失敗すると、狩りに変わるんだなァ…コレが』

 拒絶しようが終わりは終わり。

 狩りより釣りが好きだと宣うこの兎は。

『さァて、共に落ちようか』

 窓から見上げた天(ソラ)を指す。

 動こうとしない躰を抱えたまま、窓から外へ。

『ココから先は天が地となり地が天に』

 フワリと浮かぶ感覚と、一瞬の後に落下時独特の浮遊感。

 頭を下に、重力のようなソレ。

『死神と共に天へと落ち、そして再び地に昇る』

 やがて雲海まで届き、同時に毛皮も離れていく。

 共に落ちるのはココまでだからと。

『次も共に落ちるを望もう』

 緩やかな水に守られて、再び昇る時を待つ。