炎を纏うい鳥    
 

 
 宿の夜は遅くもあり、また早くもある。

 疲れた旅人は早々に部屋に閉じ篭るか、必ずと言っていい程に備え付けられている飲み屋で潰れる迄、陽気に飲み明かす。

 見ず知らずの旅人同士が意気投合して、次の日に何故か一緒に旅立つ風景も良くある事。

 旅仲間を集めるならば、宿の飲み屋はもってこい。

 けれど…

「よォ兄ちゃん、隣空いてるか?」

 不意に声を掛けられて振り向いた先に、仄かに頬を染めた男が一人。

 手にした大き目のグラスは既に半ば空と代わらず、ならば単なる酔っ払いかと納得し、どうぞと目で示し笑ってやれば。

「旅は道連れって言うしな、そのシケたツラの理由を、俺でよけりゃ聞くぜ?」

 まあ飲め、と返事もしないうちから手にしたグラスの中身が波々と追加される。

 どうもと軽く返して一気に煽ったなら、手を叩きながら豪快に囃す男の声。

「単なる優男だと思ったら、イイ呑みっぷりじゃねーか。ホラどんどん飲め、ウサを晴らしてけ」

「人様にお聞かせ出来るような楽しい話は、何一つとして持ち合わせていませんよ?」

 溜息ひとつと苦笑。

 洩らして呟いたなら、バシバシと肩を叩く大きな手が地味に痛い。

「ウサは溜め込むとロクな事になりゃしねーんだ。言っちまえば楽になんぜぇ? 探し物とか、簡単な事なら協力してやる」

 ほら、言えって。

 そう急かす男に再び漏れる溜息。

 きっと適当な事を言っても離してもらえないだろうと、半ば諦め気味で残り僅かになっていたグラスの中身を全て喉の奥へと流し込み、呼吸を整えて男に向かう。

 一呼吸。

 大きく、ソレは深呼吸。

「トリ…知ってます?」

 もう既に伝説の存在。

 きっと夢物語として幼い頃より誰もが聞き伝えられている、御伽噺。

「知らない奴はいないだろうさ。まさか、捜してるとか言わないだろう?」

「捜してますよ」


 静かな声だったにも関わらず、店の空気が凍る。

 誰一人として口を開かずに、ただ話の成り行きを伺うばかり。

 最初に立ち直ったのは、話し掛けてきた男。

 屈強な見かけは精神にも影響を及ぼすのだろうか?

 そんな事をぼんやりと考えていれば、不意に両の肩を力一杯捕まれた。

「悪い事は言わねぇ、幻なんぞ追うな。見つけたら死ぬぞ」

 真っ直ぐな視線。

 逸らす事叶わずにただ、見つめ返す。

 トリ。

 夢幻の御伽噺。

 どんな姿をしているのか、見た者は居ない。

 伝えられる物語の中では、人の背に美しい翼が在ると云う。

 天の使いで、人々が迎えるその刻にのみ現れる…イコール、死神。

 トリを捜すという事は即ち刻を、死を望む者。

 そんな方程式が、何時の間にか世界の常識となっていた。

 だから、この男もきっとそう思ったのだろう。

 捕まれた肩がギチギチと鈍い音を響かせて悲鳴を上げる。

「いいえ…刻を望んでいる訳ではありません。それはまだ、私の運命ではない。だからこそ、トリを捜すのです」

 この石と砂だらけの大地で。

 何処かに在ると云われている、浮遊の郷を見つけなくては。

 そこはトリの巣であり、トリと同じく誰も見たことの無い場所。

 もう何年も捜し続けて歩いてきた。

 ずっと独り。

 ああ、ならば丁度いい。

 旅は道連れ……よく言ったものだ。

「心配して下さるのでしたら、この先一緒に参りませんか?」

 無理にとは申しません。

 見つめて微笑んでやればホラ、こんなにも簡単。

「どうやら貴方も独りのようです。旅は道連れと、貴方が仰いました。如何でしょう?」

 世の中雄も雌も関係ナイ。

 使って使われて互いを使い尽くし食い尽くし、用が済めば終る。

 簡単で単純。

 なのにより深くを望みそして堕ちていく。

 それが、人間。

 何て愚かで愛おしい。

「もちろんお望みの侭に、報酬はお支払い致しますよ?」

 力の抜けた肩を掴む大きな手に、片手を添えて不自然にならない程度の動きでゆっくり下げて胸元へ。

「ッおま…」

 その指先に触れたモノへの驚きか、目を見開き瞬時に力強く手を引かれたけれど。

 今更逃げるなんて、させはしない。

 自分の顔のデキくらい理解している。

 こんな時くらいにしか役に立たないのだから、存分に思い知れ。

 優男と言った、その口の愚かさを。

 顔を伏せ少しだけ声を震わせて。

 周囲の目は事の向かう先を見守るだけ。

 その雰囲気を全て都合の良い流れに組替えてしまう、それだけで何事も思うが侭に。

「私はこんな容姿ですから。愛玩用として、高く売れるそうです」

 何度不貞の輩に襲われそうになった事でしょう。

 さして大きい声ではないものの、静まり返った店の中には充分響く大きさで。

 けれど目の前の男にだけ、聞こえるか聞こえないかの小さな声で続けた言葉は、全く別の。

「さあ…これ程に、人目を憚らず誘っているのです。是非とも、乗って下さるのでしょう?」

 それ迄見せていた表情を一転させて、挑発するように下から見上げたなら。

「何か、すっかり酔いが醒めちまったよ」

 呆れたような、諦めたような男の苦笑と優しい声音。

 今度は力任せではなく、するりと胸元から離れていくその手が。

 立てるかと問われれば小さく頷いき、そして促される侭に。

「あんま無謀な交渉、もうすんじゃねぇぞ」

 肩を抱かれ耳元に囁かれた、ソレが何故だか楽しくて。

「貴方次第、ですね」

 男より以前に声をかけられた事は数多とあれど、共にと望む事は無かったのに。

 単なる気まぐれか、何かに惹かれたか。

 偶然にして巡る時の悪戯に、今だけはそっと感謝を。

 答えを聞くのは朝でいい。

「私の部屋は、一番奥の角ですよ…」

 そちらへ参りましょうと、男の身体に寄り添い笑う。

 雰囲気を乱す原因が取り除かれれば、飲み屋は次第に本来のその賑やかな空気を取り戻していった。

 再び騒ぎ始める面々の中に、たった今なされたやり取りが残る事はないだろう。

 仲間と別れる者が居れば、知らない者同士が意気投合する事もある。

 そう。

 それはよくある、宿の夜。